中大教授の高窪統殺害事件で、元教え子の山本竜太容疑者が逮捕された件でしきりに「思い込み」という言葉が聞かれるが、よく言えば「心証」だろう。その「思い込み」と評価される、あるいは「思い込み」にまで育てる前には、山本容疑者も法令遵守で生きてきた普通の人間だったわけだから、そもそもの最初の部分においては一般人と変わらないものだっただろう。イジメに関しては、いじめられた側がいじめられたと思った時と評価される。つまり、いじめられたまんまだったら被害者として保護されるが、過剰反撃すると「思い込み」とか、「逆恨み」と評価される。もちろん、高窪教授と山本容疑者がこの事例に当てはまると言っているわけではない。「心証」なのか、「思い込み」なのかをきちんと検証する必要性はあるだろう。それを最初から、「思い込み」と評価するのはいかがなものかとは思う。
この事件でふと思ったのが、同じく「思い込み」をやたらと強調される事件が直近のもので、元厚生事務次官宅連続襲撃事件の小泉容疑者の動機も、やたらと「思い込み」が強調されたわけだが、その「思い込み」事件であるし、かつ、どちらも理系大卒で職を転々としたなど共通点も多いし、山本容疑者の方が随分と年齢が若い。若ければ保護者の責任度がより高くなると思うのだが、なぜか小泉容疑者のケースで、マスゴミ(自称・マスコミ)は親元に突撃取材などをしたのに対して、山本容疑者の場合はしないんだよな。こういう差ってどっからくるわけ?マスゴミ(自称・マスコミ)のこの差が起きるのでもの凄く違和感を感じたのは、桶川ストーカー殺人事件の小松武史・和人兄弟に関して全く親元や経歴・来歴を全くといって報道されなかったこと。あれ、親とかいないのかなと思ったら、小松和人の資産を相続した親が民事賠償の相手として訴訟されている(これも報道されないのに等しいが)。まぁ、なんでしないかは大体の推測がたっている。つまり、しないということそれにあてはまるということだ。
山本容疑者が職を転々としたとか、そのことから積もり積もって逆恨み殺人に至った趣旨の報道がなされているが、これにも違和感を感じている。職を転々としても、浅田次郎に代表されるように勝ち組になると、経験豊富と評価されるわけだ。ようするに、このあたりの評価は「勝てば官軍、負ければ賊軍」っていうもので、プラマイゼロ・中立評価とみていいだろう。似たような事例で、破産を繰り返したも最後に(今は)成功していればもてはやされるのも同じ。さらに、山本容疑者が正社員から脱落して非正規にながれ着いて屈折心から悲観して犯行に至るような報道がなされているが、これだけ非正規雇用が多い時代に、そこまで悲観しているとも思えないが、犯行にいたるような「思い込み」を育てるような「人格」だから否定しきれないと言えば否定しきれないが。
今回の事件とは直接関係がない論点ではあるが、山本容疑者が都立府中高校の出身であるというが、自分の出身学区と隣接だが、あんまり聞いたことないなと思って調べたら、これはかなりというか絶望的に低い。今はこういう高校からも中大理工にいける時代なのか?それとも山本容疑者が例外なのか?やっぱし、いわゆる全入時代になったからそんなもんなのかなって。自分が知っている人物で、山本容疑者とほぼ同じ年齢で明大理工出身のがいるんだが、その人の出身高校を聞いた時も、そんなに低い高校から入れる時代になったのか、例外なのかは迷ったが(それでも府中高校よりはちょっと上だが)。ただ、その人物も留年しているし、最近は大学で補習授業をやっているとか。ある意味、全入時代の影響かね。この2つの事例だけで断言できないが。理系と文系の違いがあるが、自分の出た明大法(98年卒業当時)には、クラスで出身高校が低かった人でも、3ランクは上だった。これに関連して高窪教授の出身大学もやや気になる。高窪教授の出た頃の‘上智大学’は、そんなに優秀だったとも思えないし、しかも、‘理系’ならなおのこと。つまり、中大理工の方が格上だと思うんだが、格上大学の教授に早くになれるのは不自然と言えば不自然。高窪教授も、山本容疑者も、ある意味、中大の異分子という点には共通しているなって思った。
(2009/05/27)
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